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アルバニア人とベオグラードに行ったときの話

先日、「終わらぬ『民族浄化』セルビア・モンテネグロ(木村元彦 著)」という本を読みました。

内容は、コソボ紛争終結後からの、コソボにおけるセルビア人の拉致・殺害事件を追う、という本筋と、

それにまつわる現地の人々との意見交換について。

わたしはコソボにばかり行っているため、自然とアルバニア人視点の紛争の話ばかり聞いてきたので、

この本をよんで、全く言及されないセルビア側の被害者のことについて知ることができました。

セルビアにも何度か行ったし、ベオグラードではNATO軍に空爆された建物も見てきましたが、

やはり圧倒的多数のアルバニア人に常日頃から話を聞いていると、セルビアの言い分が耳に入らなくなるな~と実感しました。

第三者であるはずの外国人でさえそうなのだから、当事者たちがもう一方の側の立場に立つ、なんてことは

簡単にできることではないだろうな、と強く思いました。

☝NATO軍に爆撃された建物はいまでもそのまま。

 

プリズレン出身のあるアルバニア人の友人は、セルビアに行ったことがありません。

理由を聞くと、「行ったら殺されるからだ」と。

それを聞いたときは、「はぁ?そんなことあるわけないじゃん、今時のこの文明国家で」と

何を言っているんだこの人は…くらいに思ったのですが、

本人は冗談ではなく、半分以上本気でそう思っているそうです。

この人は医者だし頭が悪いとかいうのではなく、本人も冷静な部分では「そんなことない」とは思っているみたいなんですが、

それでも「もしアルバニア人だとわかったら殺されるかもしれない」という恐怖を打ち消すことはできないそうです。

それでもまだ、コソボに住んでいるアルバニア人はセルビアに行く人もまぁまぁいるんですが、

セルビアにいるセルビア人たちは、よりコソボのアルバニア人を恐れ、一度もコソボに来たことがないという人がたくさんいるそうです。

一度も行ったことない者同士で会ったことがない相手のことを恐れ合う人たち。

ある日、一人のアルバニア人とセルビアの首都ベオグラードへ行くことになりました。

この人は数年前に一人でセルビアを旅行したことがあり(3~4日)、

そもそも生まれがセルビア南部のアルバニア人が多く住む村ということもあり、

比較的セルビアに対する怯えや偏見が少ない人なんだろうな、とわたしは思っていました。

コソボ人はコソボからしかセルビアに入国できないという決まりがあるのに対し、

逆にわたしはセルビアを通らずコソボに入国しているので、コソボから直接セルビアに入れないという事情があり、

一緒にベオグラードに行けなかったので、現地のホステルで待ち合わせることにしました。

ベオグラード駅近くでわたしが拾ったタクシーは普通にメーターで目的地まで行ってくれたのに対し、

このアルバニア人(便宜上Aとする)が乗ったタクシーはメーターを使わずいい値交渉だったそうです。

たった3ユーロの距離を、Aは言われるままに10ユーロ払ったそうです。

「なんで交渉しなかったの?」と聞くと、

「土地勘もないし夜で外も暗いし、もめたくなかったから」みたいなことを言いました。

実はセルビアにいるという状況にAは緊張しているんだな、とわかりました。

その日は偶然にもハロウィンだったので、

東欧の中ではBestナイトライフ都市の一つとしても有名なベオグラードということで

Aはどんな祭りがぶち上がっているのかと楽しみにしていたらしいにですが、

夜ベオグラードの町を出歩いてみても、目立ってなにかパーティーがあるようにも見えない。

意固地になってパーティーパーティーいうAは、ことあるごとに携帯を取り出し、

コソボで自分の友人たちがパーティーしている動画を見ては、

「ベオグラードなんて何もない。コソボの方が100倍もいい」ということを繰り返し言っていました。

それだけでなく、ものの値段・サービスの質・レストランの雰囲気などをいちいちコソボと比べては、

いかにコソボの方が優れているかについて言及するので、いいかげんうんざりしました。

☝ベオグラードのレストランの店内。普通にセンスいいと思うけどな…。

外国にいるのだから自分の国でできているようにはできない、ということを受け入れられず、

あくまでも自分の国を基準にしてそこで起こることに対応する。

そしてあれがない、これができない、と文句ばかり言う。

でももしかしたらそうやってコソボを持ち上げることで、

ベオグラードにいるという不安を打ち消していたのかもしれない。聞いてる方はすっごくイライラしたけど。

この人はまだセルビアに来ることができるという時点で、ビビッて来なくて偏見でばかりセルビアを語る人よりはいいけど、

でもこんな感覚だったら理解も何もないだろうな~と思ってその様子を見ていました。

そしてコソボに戻ったら、この感覚で感じたセルビアを、まだセルビアに行ったことがない自分の友人に語るんだろうな~。

ホステルに戻る前に、全然飲み足りないとふてくされるAが、深夜でもやっている半地下のバーを見つけました。

ドア越しにのぞいていると中から手招きされたので、入ってみました。

そこは、ナショナリストとして悪名高いセルビアフットボールファンが集うバーでした。

A大ピンチ。

それでも「どこ出身?」というオーナーの質問に、

「この子は日本から、ぼくはセルビア南部で生まれてコソボで育った」と答えました。

今までもセルビア人に「どこ出身?」と聞かれるたびに、「セルビア南部で生まれた」というパートを強調していました。

Aはセルビア語で何か言われていましたが、「ごめんなさい、セルビア語はわからない」と言い、

それに対し別の客が「セルビアで生まれくせになんで話せないんだよ」とくってかかってきました。

それだけでなく、バーにたむろしていた他の客は、アルバニア人の蔑称(日本人にジャップというみたいな言葉がここにはある)を小声で口にしました。

店内は一瞬へんな空気になりましたが、結局はオーナーが

「止めとけ。オレの店の中では全員が自由に酒を飲む権利がある。そしてオレはオレの店の中にいる人間は平等に扱う」といい、

わたしたち(というかA)は無事飲み物を手にすることができました。

オーナーと言葉を交わすと、彼は昔従軍でコソボに何年かいたということがわかりました。

懐かしんでいる様子で、あそこは今どうなってるとか、ぺヤビール(コソボの国産ビール)はうまかったなど

遠い目をしていました。

「コソボはいいところだ」としみじみ言っていました。

結局Aはビールを3杯飲み、「明日も来る」と宣言して店を後にしました。

☝フットボールファンが集まるバー

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